「建築一家」@工学院大学同窓会誌~NICHE~

「建築一家」@工学院大学同窓会誌~NICHE~


工学院大学同窓会誌「NICHE」に弊社代表取締役:豊川裕子が掲載されました。

▼以下掲載内容▼

■建築家を志すきっかけ

昭和23年1月4日、私は福岡県北九州市門司から下関にかけて手広く建設業を営む父の元に生まれました。当時の門司は海外との貿易港町として賑わっており、一般の建物や貨物を保管するレンガ倉庫等の建設に携わっていました。幼少期に父に連れられて建設現場に行ったことを覚えています。ある日棟上げ時に「おまえが男の子だったら上に登れるんだがなぁ」っと言われ、「私もいつの日か登ってみせる」との思いから将来建築の仕事をしたいと決心しました。

■日本建築家協会の礎を築く

高校3年生の頃、女性単身の遠方での生活は考えられず、私にとっては高峰の九州大学を受験したいと父に申し出たところ、「建築を勉強するなら、最先端の情報が集まる東京に行け」と言われ工学院大学に進学を決めました。当時の工学院大学には武藤先生、山下先生といった日本を代表する建築家が教授として在籍されており、当時の私にはとても刺激的でした。亡くなった主人とも同学で知り合いました。彼は武藤研究室の大学院に進学、その後丹下健三建築設計事務所へ。私は大学卒業後大林組の設計部へ入社しました。高度経済成長の最中、大手ゼネコンでの仕事は大変貴重な経験となりました。転機が訪れたのは小児喘息を患っていた長男が3歳になった時。病状が悪化した息子の療養のため、私は実家の北九州市に帰省。その後父の営む設計事務所に夫婦で入所し、生活の拠点を北九州に置きました。かつて鉄鋼業で栄えた当時の北九州は建築文化が乏しく、その景観に落胆しました。このままではいけないと、地元で活躍する建築家を集め、良い建物を増やし街全体に文化を創ろうと九州建築塾を発足。丹下先生の御指導の元、夫婦で活動に勤しんだ塾は今日JIA(日本建築家協会)に形体を変え、全国または世界的な後輩育成、建築情報の発信元となりました。

帰省から18年目に夫が他界。亡き夫の想いを次いで、九州の地だからこそと、クオリティの高さを心がけ設計業務を続けてまいりました。

2人の息子も工学院大学へ進学し、6年前に帰省。早くに父親を亡くした二人でしたが、夫と同じ薫りがする当時の仲間からの御指導を受け、今では豊川設計事務所の専務、常務として仕事に勤しんでいます。

■若い世代の皆さんへ

現在世界を舞台に様々な職種で活躍されてる日本人の方が多くなってきており、諸外国からも注目されています。建築設計も例外ではありません。インターネットが普及し、国境を越えた交流が容易になってきた機会を生かすためにも、世界と対話する上で英語は必須と考えます。国内に留まらず、世界にも視野を向け、活躍できる人材となってください。

近年建築士へ課せられる責任が重くなってきてます。様々な問題を抱えることも多くなると思いますが、研鑽を重ね、社会規範を守り、建築家としての誇りと信念を持って臨んでもらいたいと思います。

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